東京裁判(4Kデジタルリマスター版)

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[上映日程]8月15日(木) 12時50分より1回限定上映

“ 君は知っているか ”

敗戦の虚脱と混乱を、そして平和到来の歓喜を
昭和から平成を超え、令和に問いかけてくる、何を裁き、何が裁かれなかったのかを

[解説]
アメリカ国防総省が撮影していた50万フィートに及ぶ膨大な裁判記録のフィルムをもとに、『壁あつき部屋』(56)や『人間の條件』六部作(59~61)などで戦争の非を訴えた、反骨の名匠・小林正樹監督が5年の歳月をかけて編集、制作した。客観的視点と多角的分析を施しながら「時代の証言者」としての“映画”を完成させたのである。83年に公開され、単に裁判の記録といった域を越え、日本の軍国主義の歩みと激動の世界情勢を照らし合わせながら、戦後38年当時の日本人に人類がもたらす最大の愚行「戦争」の本質を巧みに訴え得た本作は、第35回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞をはじめ国の内外で絶賛された。

[あらすじ]
1945年日本はポツダム宣言を受諾し、8月15日に全面降伏の旨を国民に伝えた。戦後の日本を統治する連合国軍最高司令官マッカーサー元帥は、戦争犯罪人の裁判を早急に開始するよう望み、1946年1月22日に極東国際軍事裁判所条例を発布した。通称“東京裁判”である。満州事変に始まり、日中戦争の本格化や太平洋戦争に及ぶ17年8カ月の間、日本を支配した指導者の中から、太平洋戦争開戦時の首相・東條英機ら28名が訴追された。一方、国の内外から問われ、重要な争点となった天皇の戦争責任については、世界が東西両陣営に分かれつつあるなか米国政府の強い意志により回避の方向へと導かれていく。同年5月3日より東京裁判は開廷。まずは「平和に対する罪」など55項目に及ぶ罪状が読み挙げられるが、被告は全員無罪を主張した。検察側は日本軍の非道の数々を告発。弁護側は「戦争は国家の行為であり、個人責任は問えない」と異議申し立てするが、「個人を罰しなければ、国際犯罪を実効的に阻止できない」と、裁判所はこれを却下した。1948年11月12日、病死した被告などをのぞく25名のうち東條ら7名に絞首刑、他18名は終身禁固刑もしくは有期刑が宣告が下された。

[記録映画「東京裁判」を完成して ── 監督 小林正樹]
劇映画「東京裁判」(プロデューサー、故椎野英之、佐藤正之)が企画され、脚本(八住利雄)も完成し、映画化寸前まで進展したことがあった。13年前である。この企画は国際的なキャスティングで難航し、それにともなう厖大な制作費の点で会社側と折合いがつかず流れてしまった。その後、私の作品の候補として度々俎上にのぼりながら今日まで陽の目を見ずに終ってしまった。
私の作品系列の中に戦争を題材にした一連の作品がある。「壁あつき部屋」(BC級戦犯を扱ったもの)、「黒い河」(戦後の米軍基地を舞台としたもの)、「人間の條件」(3部作)。これらの作品のほかに企画あるいはシナリオの段階で流れてしまった数本の戦争に関連のある作品がある。私はこれらの作品の中で戦争のおそろしさ(・・・・・)、むなしさ(・・・・)、おろかさ(・・・・)を一貫したテーマとして訴え続けてきた積りである。完成、未完成のこれらの映画をたどってゆくと行きつくところは、太平洋戦争の終着点であり、戦後の出発点である東京裁判(極東国際軍事裁判)という巨大な遺産にぶちあたってしまう。東京裁判への挑戦なくして私の戦争映画は終らない、いつかは、私の戦争映画の集大成として真正面から取組みたい題材であった。
その日が訪れてきたのは昭和52年、5年前のことである。しかもそれは劇映画としてではなく、私の未知の領域である記録映画として私の前に登場したのである。この記録フィルムは日本を占領した米軍によって、東京裁判開廷の昭和21年5月3日から昭和23年11月12日の閉廷までの2年6ヵ月の間、東京裁判法廷で撮影(同時録音)されたものである。その量は170時間、50万フィートを超える厖大なものであるが速記録(全10巻雄松堂刊)の何百分の一にも充たない。しかし私はその中に時代の映像が鮮烈に刻みこまれているのを観た。この時から私と「東京裁判」との死闘が始まったーー
そして5年後の今「東京裁判」は完成した。私の戦争映画はここに終止符をうち、「東京裁判」は私の作品系列の中にしっかりと刻まれたのである。
制作の過程で「東京裁判」は世界の情勢と歴史の流れの中に位置づけて見直すという考えが次第に定着してきた。ポツダム会談で始まり、国際紛争の年表で終る記録映画「東京裁判」が歴史の教訓として、更に日本と世界を見直す広い視野への展開につながれば私たちスタッフの願いは果されたことになる。(1983年5月)

*『東京裁判』レーザーディスク版付録冊子 映画『東京裁判』/1986年より抜粋

【コメント】

■ちばてつや(漫画家)
刮目すべき記録
「今後の世界平和のために」という美名のもと日本人たちを裁いた、その国々はそれまで何をして大国になり得たのか。その後少しでも世界を平和に導くことが出来たのか。欺瞞に満ちた裁判に憤りながら、では日本が歩むべき道筋とは、どんな形だったのだろう、と深く考えさせる記録。

■保阪正康(現代史研究家・ノンフィクション作家)
鎖国を解き、国際社会に勇んで出た日本。一等国にまで登りつめ、そして崩壊する。
その崩壊から新しい出発へ、東京裁判は節目にあたる「史実」である。
この史実を理解することは、次世代が歴史に生きるということだ。

■麿赤兒(大駱駝艦主宰・舞踏家・俳優)
凝縮された、たった4時間の映像の密度に息もつけない!
人類はこの宿題に解を得ることができるのか、
その苦悩のうちに滅亡するのか。
そして私は遂に哄笑してしまうのだ!

■伊藤俊也(映画監督)
『プライド 運命の瞬間(とき)』を作る時、私は本作を反面教師とした。
構想や壮大、東京裁判を通観しつつも戦前史から戦後の動向までを一つの歴史解釈として提示する試み。だが、ドキュメントというには説明過多、解釈先行が惜しまれる。私は劇映画ながら、弁論証言場面は裁判記録に拠り事実をもって事実のみを語らしめようとした。

■原一男(映画監督)
真に偉大なドキュメンタリーである。日本は戦争に負けて民主主義が導入されたものの、戦後史の中でその民主主義の魂・精神が崩壊して行くが、そもそもの源が、極東国際軍事裁判に存在することが良くわかる。
日本の民主主義が未曾有の危機にある今こそ我々は、この作品=歴史から学ぶべきことが山ほどある。

■森達也(映画監督・作家)
人はどこからきてどこへゆくのか。そしてこの国はどこでどう変わってどこへゆくのか。リマスター版『東京裁判』を観ながら考える。僕たちが暮らすこの国の原点のひとつが、まさしくここにある。

『東京裁判』
[1983年/日本/モノクロ/277分]
総プロデューサー:足澤禎吉、須藤 博
エグゼクティブプロデューサー:杉山捷三(講談社)
プロデューサー:荒木正也(博報堂)、安武 龍
原案:稲垣 俊
脚本:小林正樹、小笠原 清(CINEA-1)
編集:浦岡敬一(CINEA-1)
録音:西崎英雄(CINEA-1) 
音響効果:本間 明  
資料撮影:奥村祐治(CINEA-1)   
ネガ編集:南 とめ 
タイトル美術:日映美術  
現像:東洋現像所  
録音:アオイスタジオ  
協力:博報堂
史実考査:一橋大学教授 細谷千博(現代史)、神戸大学教授 安藤仁介(国際法)
翻訳監修:山崎剛太郎  
監督補佐:小笠原 清  
助監督:戸井田克彦  
製作進行:光森忠勝
ナレーター:佐藤 慶
音楽:武満 徹  
指揮:田中信昭  
演奏:東京コンサーツ
監督:小林正樹

デジタル修復補訂版2018
デジタルリマスター監修:小笠原 清、杉山捷三
アーカイブコーディネーター:水戸遼平  
フィルムインスペクション:千陽裕美子
デジタルレストレーション:黒木 恒、高橋奈々子、森下甲一  
カラリスト:阿部悦明  
音調調整:浦田和治
協力:独立行政法人国立映画アーカイブ 株式会社IMAGICA Lab.
サウンドデザイン ユルタ 豊国印刷 バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
特別協力:芸游会
企画・製作・提供:講談社
配給:太秦
ⓒ 講談社2018

【受賞歴】
第35回ベルリン国際映画祭国際評論家連盟賞受賞
第26回ブルーリボン賞 最優秀作品賞
第38回毎日映画コンクール 日本映画優秀作品賞
第12回日本映画ペンクラブ賞 日本映画第1位
1985年ロンドン国際映画祭招待作品 作品賞
1985年シドニー国際映画祭招待作品 作品賞
1985年モントリオール映画祭招待作品 批評家協会賞

[鑑賞料金]
・前売:ポストカード付前売鑑賞券2,000円(税込)(劇場窓口にて発売中!)
・当日:一般¥2,500 / 大学生¥1,900 / 高校生以下¥1,000
*回数券、福利厚生券、招待券、MTAチケット及び一切の割引サービスが利用できません

[上映時間]
12時50分〜17時37分([前編]上映/10分休憩/[後編]上映)

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